2024/12/14.15_kagurabu『まつりのにわ 中之島・神楽remix』@大阪大学中之島芸術センター(大阪)

kagurabuとは、神楽の舞手であり俳優でもある髙安美帆と岸本昌也、神楽を研究する山﨑達哉の集まり。日本各地の神楽や芸能などの調査をしたり、研究したり、時折、飲食を伴う祭をつくったり、歌や舞などをつくるオマツリスト。

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元々は、2014年頃、阪大の社会人向けアートマネージメント講座で「伝統芸術の現代化」というゼミに所属していたメンバーが、講座終了後も有志で集まって「かぐらぶ」という神楽を愛好する部活動をしていました。これまでダラダラと神楽の映像を見て一緒にご飯食べたり、各地の神楽を見に旅行をしたりしていた仲間の内、3名の有志で今年発足。はじめてのイベントが、 中之島・神楽remix「まつりのにわ」です。

kagurabu  中之島・神楽remix「まつりのにわ」

日時:令和6年12月14日(土)午後1時~午後5時 
   令和6年12月15日(日)第一部 午後1時半~、第二部 午後4時半〜(同内容・各90分)
会場:大阪大学中之島芸術センター3階 スタジオ、ロビー、セミナー室、外

14日は、会場つくり。天蓋、小天蓋つくりのワークショップ。参加者の皆さんと一緒に中之島にある風景を写し取り、紙を切り取る作業。そして会場全体にレイアウトしました。

15日は、イベント。中之島芸術センター3階の全てのフロアと、外の風景を取り込んだ移動型パフォーマンス。参加者の皆さんと会場を一緒に移動しながらパフォーマンス。最後は、中之島周辺で販売されている珈琲や紅茶・お菓子をいただきながら歓談する機会も設けました。

ようお越し  2025.12.15 閉幕後のメモ

kagurabu「まつりのにわ 中之島・神楽Remix」幕を閉じました。みなさま、ありがとうございました。大阪・中之島の風景と人を写しとり、髙安の浪速神楽と岸本くんの石見神楽を神楽Remix。お互いの依代、手道具を持ち換えたり、振りをまねっこし同時に舞う儀式的なパフォーマンスになりました。中之島にフォーカスを合わせて神楽remixしたら、スーツで行う都市のkaguraに。最後は珈琲をドリップすることで幕を閉じました。

中之島は、江戸時代には全国の藩の蔵屋敷が立ち並んでいたこともあり、各地の神楽や祭礼が催されていたエリアでした。今は様々な企業や大阪府市の施設が集積していて、住む人より働きに来る人の方が多いエリアですね。加えて、現在進行形で工事が続いており、高層マンションや病院などが建設され、刻々と変化しているまち。これから、このまちに住む人もどんどん増えてゆくことでしょう。中之島という土地、都市の風景、高層ビル群、外と内、伝統などのエッセンスを抽出したイベントになりました。切り紙も、舞も、トレース。トレーシングペーパーみたいな、にわパフォーマンス。

帰り道、ふとおもったこと。

神楽と現代演劇の2つを繋げる試み。パフォーマンスをはじめて10年近くになる。ようやく、腑に落ちてきた。縦割りでなく、横につながって串刺しするみたい。ああ、このパフォーマンスをアンジェイに見て欲しかったなと心から思った。この10年の間に、日本とドイツで出会った様々なヒトとコトが繋がってくる。なにやら分かりませんが、融合し動きはじめてる気がします。

イベントの後片付けして、さぁ、中之島から出よう!としたら、夜空に美しく輝いている月が。うっとり見惚れちゃいました。ちょうど今日12月15日は、今年最後の満月でしたね。満ちるには時間がかかるのだね。神楽Remixこれからもどこかでやっていこうと思います。さて、次のまちはどこだろう。楽しみでもある。これまでの出会いに心から感謝。そして、なによりkagurabuのメンバー、山﨑達哉くん、岸本昌也くん、どうもありがとう。


なぜ私はパフォーマンスをつくろうとするのか。2024.10.29 開催前のメモ

私の生まれ故郷には、夏祭りがあります。村の人たちによって、古くから大切に守り伝えられている伝統行事で、関係者、見物者を含めると何千人と集まるような大きなお祭りです。そして、そのお祭りは、村の人たちによって厚く支えられており、私の祖母の家もその一つ。祭りの日になると、祖母の家の玄関は開け放たれ、地域の中にある案内所 兼 休憩所になり、親族だけでなく村の人達や見物人の人達でごった返します。そうして、地域にご奉仕すること、参加することが当たり前のことなのだと祖母や親族の後ろ姿を見て育ちました。夏祭が大好きで、ふとん太鼓の音を聞くと体がウズウズする活発な子供でした。

そして、ある時、ふと気がついたのですよね。「私はこの祭に参加できていないのではないか」と。もちろん、祖母のお手伝いをするという方法はあったのだけど、自分が思うような参加方法が見当たらない。そんな頃、祖母から「お祭りで神楽を舞ってみないか。」といわれ(祖母の喜ぶ顔見たさもあり)二つ返事で受けました。何より、幼馴染の女の子たちも一緒だと聞いたので、友達と遊べる!という子供らしい気持ちもあってのことです。それも今から考えてみると、「舞手になれば、お祭りに関わることができる。女の私でも参加できるのだ」と直感的に感じていたのだろうと思います。確かに、重要な祭典の近くに居合わせることができ、幸運でした。舞うことを通じて、様々な事柄を学ぶ機会にもなりましたし、あの頃に出会った皆様には感謝しています。

だけど、最終的に行き着いた答えは、「やはり本質的には参加できない」ということ。古くから大切に守り伝えられている日本の伝統行事にはそういう面もありますね。父や弟と私は違うらしい。その違和感があったから、私は演劇をはじめたのだろうと思います。演劇を作るには、民主的な環境が必要ですからね。また、演じることによって男性役にもなれたり、現実とはかけ離れた劇世界を生きられるわけですから。

そんな私が「今、ここ」で「場をつくる」というパフォーマンスを作ろうとしている。それは、この幼少期の記憶と向き合おうとしているのだと考えるに至りました。さて、どうなるでしょうかね。新たなスタートかもしれませんし、ただ、静かに珈琲をいれているだけかもしれません。お待ちしております。